かゞめや地蔵
かゞめや地蔵さんは、甲斐国志に元禄十二年四月二十四日開眼と記されております。

元禄12年、今から312年前 祖暁禅師が新しく二体の石地蔵を造ることとなり、石工に依頼しました。 石工は近くの大幡山から石を運び精魂込め見事なお地蔵さんを刻みあげました。
ところが、いよいよ明日ご開眼という4月24日、石地蔵さんを蔵堂へ運んできた石工の棟梁は、突然顔色を変え頭を抱え込んでしまいました。

たまたま勧進から帰ってきた、祖暁さんがその様子に驚き、「棟梁如何いたした」 と尋ねると、 棟梁はきまり悪そうに「祖暁さま、えらいことをしてしまいました、お地蔵様がせっかくの厨子に納まりません。」 祖暁さんは、「何、寸法違いを致したのか」と尋ねました。
石工の棟梁は「何とも申し訳ございませんが、お地蔵さんのほうが三寸ばかりお背が高うございました。 これではお地蔵さんを刻み直すか、厨子を作り直すしか方法がございません」と話ました。

祖暁さんは、「そんな事をしたら明日のご開眼に間に合う筈がない、まあよい私に任せなさい。」ちょうど良い機会じゃ、お地蔵さんのご利益を試してみようと、祖暁さまはできたばかりの石地蔵の前に座ると「 汝は大幡山の石ころにすぎぬ、それを拙者が、衆生の成仏を願って仮に菩薩のお姿に刻み申しただけじゃ、厨子に納まらぬとあれば、明日の開眼は不可能、開眼出来ねば、汝はただの石ころゆえ、また元の山へ捨てさってしまうぞ、 それとも身をかがめて、厨子に納まるか」と話しかけましたところ、石地蔵さんは祖暁さまの言葉に恐れいったのか、 深いシワが現れ頭が下がり、難無く厨子に納まりました。

以来、このお地蔵尊さんを「かゞめや地蔵」と呼ばれるようになり、毎年4月に「かゞめや地蔵」の祭典を執り行い、檀信徒の皆さま方とお寺の益々の繁栄をお祈りします。
心願成就のご祈願のため多くの人達が参拝に訪れます。

 


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